対談(近藤×辻)「波多野睦美 冬・パリへの旅」に寄せて《前編》

音楽学者 近藤秀樹氏とピアニスト 辻ゆり子による対談

近藤秀樹(こんどう ひでき)
大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。美学会、音楽学会会員。大阪教育大学、関西大学、京都芸術大学非常勤講師。和歌山県立図書館・南葵音楽文庫研究員。京都フランス歌曲協会企画委員。演奏会や音楽講座の企画・構成に携わる。

冬の旅、時の旅

  • 19世紀フランスから時を遡る ~ ヴァトーそして古典へと
  • ドビュッシー「世紀末風」のアイデアと新しい時代への予感

辻 (T)  近藤さん、今回の波多野さんの「冬、パリへの旅」、素敵なタイトルとプログラムですよね。

近藤 (K)  そうですね。曲目はすべてフランス歌曲。パリを想いながら聴きたいところです。でも、この音楽によるパリへの旅は、同時に、時の旅ですね。

T  時の旅?

K そう。時の旅、過去への旅。たとえば、プログラムの前半に《マンドリン》という曲がありますね。マンドリン片手にセレナードを歌う男たち、それに耳を傾ける美しい娘たち……。ヴェルレーヌの同じ詩にフォーレとドビュッシーが別々に曲をつけたものですが、この詩は『雅なる宴』という詩集に入っています。フォーレもドビュッシーもこの詩集が大好きで、たくさん曲をつけましたが、この詩集はアントワーヌ・ヴァトー (Antoine Watteau 1684-1721) の絵と関係があります。この薄命の天才画家は、18世紀のフランスの宮廷・田園を舞台に、優雅に着飾った一連の男女を艶やかに描いて評判を取りました。これが「雅宴画」と呼ばれるもの。でも、その画布には、艶やかさや華やかさだけでなく、そこはかとない悲しみが滲んでいて、これが彼の作品を亜流の及びがたいものにしています。そして、このヴァトーが描いた世界を詩の言葉で甦らせたのが、ポール・ヴェルレーヌ(Paul Verlaine 1844-96)でした。

『雅なる宴』 (1869) はヴェルレーヌの二番目の詩集で、「たとえるなら、わが徳川末期の爛熟した文明に似た、フランス18世紀王朝文化の、高雅で逸楽的な風俗と人情のタブロー」(堀口大學)。恋の戯れに興じる伊達者たちに混じって、ピエロ、アルルカン、コロンビーヌといったイタリア喜劇の役者たちが登場しますが、これは18世紀のフランスの宮廷でコメディア・デラルテが持てはやされていたため。ヴァトーにも喜劇役者を描いた絵がありますが、貴族たち自身、コメディア・デラルテの役柄に扮して楽しんだようです。今でいうところのコスプレでしょうか。いずれにしても、詩人も作曲家も、ヴァトーの画布を通して理想化された「18世紀」を眺めている、といったところでしょうか。

ヴァトー「愛の音階」

参考

COSMUSICA「絵画と音楽」~ドビュッシーが魅せられたエレガンスとメランコリー。画家、詩人そして作曲家が紡ぐ『みやびなる宴』

フォーレ《ひそやかに》 ヴェルレーヌの詩集「雅なる宴」の詩で書かれた歌曲のひとつ。波多野睦美さんと山田武彦さんの演奏。

T  なるほど。詩と曲が書かれたのは19世紀の終わりだけれど、描かれているのは18世紀だと。アーンの《クロリスに》も、過去への旅なんですか?

K  そうですよ。アーン (Reynaldo Hahn 1874-1947) の歌曲のなかでもっとも有名な曲が、この《クロリスに》。詩を書いたテオフィル・ド・ヴィオー (1590-1626) は17世紀のフランスの詩人です。つまりアーンは、同時代の詩ではなく、敢えて古い時代の詩に曲をつけたわけです。ヴィオーの「クロリスに」は100行に及ぶ詩で、アーンは最初の10行にのみ曲を付けました。なお、クロリスというのはヴィオーの愛人の呼び名だそうです。この詩を書いた時期 (1619-20年)、ヴィオーは政治的な理由でパリを追放されて南仏にいました。また、ヴィオーの恋愛観は「相思相愛」を理想とするもので、《クロリスに》の歌詞にもこの理想が現れています。

この詩にアーンがつけた曲、なんだかバッハの《G線上のアリア》みたいでしょう。ちょっと古めかしい感じを出そうとしたんでしょうね。こうして、現世の恋の喜びを歌う詩と、バッハ風の厳かな音楽が、パリのサロンで娶 (めあわ) わせられることとなったわけです。

面白いことに、アーンは早くから古い時代の詩人に関心があったようです。フランスの作曲家たちは、19世紀の終わり頃から、シャルル・ドルレアンとかクレマン・マロとかフランソワ・ヴィヨンとか、フランスの古典に曲をつけるようになりますが、アーンは早くも1899年頃に、ドルレアンの詩で《あなたの慈悲を乞う》《彼女の館に囚われて》などを作曲しています。

次のプーランクとドビュッシーの曲も、古い時代の詩につけた曲ですね。

K  そうです。ドビュッシーは、最初はボードレールとかマラルメとか、同時代の象徴派の詩人の詩に曲をつけていました。さきほどのヴェルレーヌもそうです。でも、しだいに象徴派から離れて、古い時代の詩に向かうようになります。その理由について、ジェレミー・ドレイクという人がこんなことを書いています。「象徴主義者たちの『温室』で長い年月を過ごしたドビュッシーには、リズムや和声や旋律を新たに刈り込むことが必要だった」のであり、「別の時代に飛び込むことで、別の魂の風景を見出すことができ、そして、中世の詩人たちに典型的な、あの慎ましい官能性を、新鮮なものとして味わうことができたのだ」。そうした作品の皮切りとなったのが《フランスの3つの歌》(1904)で、〈時はその外套を脱いだ〉はその第1曲。詩は、先に名前の出たシャルル・ドルレアン(Charles d’Orléans 1394-1465)です。春の訪れを衣替えに喩えて歌う詩ですが、ロンデルという詩形で書かれていて、同じ詩句――「時はその外套を脱いだ」――が周期的に戻ってきます。

T  プーランク (Françis Poulenc 1899-1963) は、ドビュッシーよりは時代がずっと下りますね。

そうですね。プーランクも《ギターに寄す》 (1935年) のほか、《ロンサールの5つの詩》 (1924-25年) を書いていますし、ドルレアンの詩による《平和への祈り》 (1938年) という歌曲もあります。でも、プーランクは20世紀の作曲家ですから、プログラムの後半についてのお話しのなかで触れることにしましょうか。というのも、プーランクとともに20世紀に旅するためには、その前に「世紀末」を通過しなくてはならないので。

それがドビュッシー《叙情的散文》ですね。これはドビュッシーが自分で詩も書いたんですよね?

K そうなんです。ドビュッシーは、文学に関してはなかなかの目利きでしたからね。「叙情的散文」Proses lyriques は「音楽的な散文」くらいの意味でしょうか。ただし、ドビュッシーの筆になる歌詞は当時流行していた自由韻律詩風のもので、自由な形ながら韻を踏んでいるので、厳密には「散文」ではありません。また、ドビュッシーが書いた詩には、ボードレールやマラルメ、メーテルランクの影響が端々にうかがえますが、これも時代の影響でしょう。この歌曲集は全部で四曲ですが、続編の構想や管弦楽化のプランもあったようです。今回の波多野さんのプログラムに入っているのは、第1曲、第2曲、第4曲の三曲。

第1曲〈夢……〉では「騎士」や「兜」や「聖杯」が喚起され、それに応じて遠くファンファーレがこだまするなど、「夢」の背後にヴァーグナーの世界が透けて見えるような感じです。これはいかにも世紀末風。

第2曲〈砂浜……〉は音による海景画といった趣ですが、ここには舟も漁師も出てきません。波が少女に譬えられてはいますが、主題はあくまで海の姿そのもの。その海は、黄昏、驟雨、そして月明かりのもとで、さまざまな表情を見せます。詩の中に出てくる「イギリスの風景画」(cette anglaise aquarelle)は、ドビュッシーが好んだターナーの絵でしょうか。一方、最後の「海に漂う教会の、遅れて聞こえる鐘の音」は、ブルターニュの海に沈んだイスの街の伝説のことかもしれません。

「イスの街の伝説」って、ドビュッシーのピアノ曲《沈める寺》がそうですよね。あの曲にも鐘の音がいっぱい出てくる。

K  ドビュッシーは鐘の響きが好きだったんでしょうね。第4曲〈夕暮れ……〉でも鐘が鳴ります。この詩は日曜日の賑わいを歌うものですが、「街の日曜日」と「心の日曜日」があって、前者は日常的というか庶民的。たまの休日に列車でレジャーに繰り出す人々が、ちょっとユーモラスに描かれています。「日曜日がやってきた、少女たちの家に」という歌詞が出てきますが、この箇所は歌詞も音楽もフランス民謡「城が落ちない」(La tour prends garde) の引用。この庶民的な感じは、プログラム後半の20世紀のパリを予告しているような気もします。

〈夕暮れ…〉 “塔遊びの歌” の引用 [ピアノ伴奏の右手]
塔の遊びの歌(フランス民謡「城が落ちない」La tour prends garde )

T  アポリネール&プーランクのパリ、《月並み》のパリですね。機関車や信号機やトンネルが出てくるのも面白い。

ところが曲が進むにつれて、「街」から「心」に重心が移っていきます。夕暮れとともに鐘が鳴り、詩人は「過ぎ去った日曜日の思い出」に浸ります。空には星が輝きはじめ、たぶん、夜空の乙女座からの連想で聖母マリアが出てきて、その聖母への祈りで曲は締めくくられます。「街に憐れみを 人々の心に憐れみを」。ちょっと宗教的で神秘的、世紀末風です。夕暮れを歌いたがるのも「世紀末」の芸術家たちに見られる傾向ですね。

T  夕暮れがですか?

K  すでに滅んでしまった時代や、いままさに滅びていこうとしている自分たちの時代を、夕暮れに重ねて見ていたようです。このテーマについては、比較文学の宇佐美斉先生が『落日論』という面白い本を書いておられますので、関心のある方にはぜひお読みください。《叙情的散文》は新旧二つの世紀の境目に位置する作品で、境目だからもちろん新しい世紀につながる要素もあるのですが、この歌曲集のなかでドビュッシーの心は、しばしば「過去」に傾いているような気がします。――でも、ドビュッシーの〈夕暮れ……〉で世紀末の日は暮れて、明日は20世紀になるでしょう。 後編へと続く

12月26日(火) 波多野睦美 冬・パリへの旅(好評発売中)

日程|2023年12月26日(火)
場所|兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール(西宮市) 
時間|開演19時 (開場18時半)
料金|一般 4,000円 高校生以下 2,500円 当日500円増 (自由席)
 *未就学児入場不可
主催|ならdeこんさーと
後援|西宮市、神戸新聞社、京都フランス歌曲協会

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