対談(近藤×辻)「波多野睦美 冬・パリへの旅」に寄せて《後編》
- 第一次大戦を境に日常に「詩」を見出すように
- 〈愛の小道〉はウィーン風?
- プーランクの仕掛けた「トランポリン」
T さて、夜が明けて20世紀。後半はフランシス・プーランク (1899-1963) の曲ばかりで、その最初が歌曲集《月並み》なんだけど、近藤さん、この歌曲集、どうして「月並み」なの? どこが「月並み」?
K 「月並み」どころか、とても素敵な歌曲集ですよね。なんでこんなタイトルなのか、私も不思議ですが、詩がアポリネールだというのが手掛かりになるかもしれません。アポリネールの詩集『アルコール』に「地帯」という長い詩が入っているんですが、そのなかでアポリネールはこう書いています。
おまえはよむ 大声で歌っているチラシ カタログ ポスターを それが今朝の詩だ 散文なら新聞がある (宇佐美斉訳)
T えっ、チラシやカタログやポスターが「詩」なんですか?
K そう。つまり、ごく平凡な日常の生活の中にこそ「詩」がある、という考え方です。聖杯を求めて旅に出るまでもない。「雅なる宴」の世界に遊ぶまでもない。そんな大仰なことを考えなくても、「詩」は、そして「美」は、私たちの平凡な生活のなかに存在している。たとえば、歌曲集《月並み》第4曲〈パリへの旅〉の歌詞を読んでみてください。ほとんど「旅行会社の宣伝コピー」(久野麗) みたいな歌詞でしょう。
T なるほど。これなら、近所のスーパーのセールスのチラシも詩や歌になりそうですね。
K 実際、プーランクと親しかった作曲家のダリウス・ミヨー (1892-1974) は、《花のカタログ》や《農機具》という歌曲集を書いています。前者の歌詞は花屋のカタログを真似たもので、後者は農機具のカタログに曲をつけたもの。
T すごい変わりようだ。《叙情的散文》なんかと比べたら。
K 第一次世界大戦の影響もあるでしょうね。大戦で従軍してひどい目にあった人たちは、日常生活を取り戻したときに、「月並み」な暮らしが実は「詩」と「美」にあふれていたことを、しみじみとかみしめたでしょうから。
T それ、アフター・コロナの私たちにも、ちょっとわかるな。……ちょっと待って。ということは、世紀末で日が暮れて、夜が明けたというのは、1900年のことじゃなくて……。
K むしろ第一次大戦が節目でしょうね。そして、大戦後に活躍をはじめた若い世代の作曲家たちが「フランス六人組」。プーランクもミヨーも、そのメンバーでした。
ただ、プーランクが歌曲集《月並み》を作曲したのは第二次大戦中。フランスがドイツに降伏して、ヴィシー政権下にあった時代です。一次大戦の記憶とか、ふたたび失われた日常への想いとか、いろいろなものがこの歌曲集に込められていそうな気がしますね。
T たしかに、めちゃくちゃ楽しい〈パリへの旅〉のあとは〈すすり泣き〉だし。単にオシャレで陽気な歌曲集なんかじゃない。そこがいいんだけど。
K 歌曲集を、「テンポが速くて盛り上がるフィナーレ」ではなく、シューマンで言うと〈詩人は語る〉のようなエピローグで締めくくるのが、プーランクは好きですね。
T うん、歌曲集《偽りの婚約》は〈花〉で終わるし、《あたりくじ》の〈四月の月〉もそう。
K あの良さが分からない人には、プーランクは分からないでしょうね。やたら派手な曲で終わりたがる演奏者には……。
T ……近藤さん、なんか怒ってる?
K ……えっ、いや、なんでもありませんよ。
T そういえば、ピアニスト菊地祐介氏に「プーランクは19世紀ロマン派のように弾く人いるけど、哲学が違う、nonchalant (無頓着に)だよ」と言われたこと思い出しました。アポリネールの感覚からすると当然ですね。
K ああ、いいこと言うなあ。
T ちょっと話が変わるんですが、《愛の小道》。この曲はお芝居の劇中歌なんですよね?
K そうです。ジャン・アヌイの『レオカディア』のために書かれた曲のひとつ。これは面白いお芝居でね。レオカディアというのはルーマニア出身の歌姫。オペラ歌手です。この人に貴族の青年アルベールが恋をするのですが、その三日後にレオカディアは不慮の事故で亡くなってしまう。そこで、アルベールの叔母で、アルベールを溺愛する公爵夫人は、アルベールとレオカディアがその三日の間に訪れた場所や建物をすべて自らの領地に再構成し、さらにはレオカディアにそっくりのアマンダという娘を見つけて、アルベールを思い出の中で生活させようとするのですが……。
T そのお芝居の中で《愛の小道》が歌われるんですね。
K 「二年前に流行ったウィーン風のワルツ」という設定です。アルベールとレオカディアが入った「ジプシー風キャバレー “ボー・ダニューブ”」で繰り返し演奏されていた曲、ということになっています。このお芝居の主演は、有名な歌手で女優のイヴォンヌ・プランタン。そのイヴォンヌが劇中でこの「歌われるワルツ」を歌い、レコーディングも残しています。
T ウィーン風なんだ。ちょっとイメージと違う。
K そこです。実はイヴォンヌは、『レオカディア』に出演する少し前に、オスカー・シュトラウスのオペレッタ《3つのワルツ》(1937年) に主演しています。オスカー・シュトラウス (1870-1954) はウィーンの作曲家ですが、ヨハン・シュトラウス父子とも、リヒャルト・シュトラウスとも血のつながりはありません。ドイツ語とフランス語でオペレッタをたくさん書いていて、そのひとつが《3つのワルツ》。このオペレッタは翌年、映画にもなって評判を取りましたが、実はこのオペレッタと映画の主演はイヴォンヌ・プランタンとピエール・フレネで、『レオカディア』と同じなのです。そして、この《3つのワルツ》のなかに〈あなたが好き〉Je t’aime というアリアがあって、これも「歌われるワルツ」。ひょっとすると《愛の小道》は、これを意識したものではないかと。
T つまりプーランクは、サティの《ジュ・トウ・ヴ》なんかではなく、オペレッタのアリアを意識して、『レオカディア』の《愛の小道》を書いたんじゃないか、と。
K プーランクはイヴォンヌ・プランタンを高く評価していて、彼女の代表作として《3つのワルツ》を上げたことがあります。アヌイの台本に「ウィーン風のワルツ」と書かれていること、この曲がさかんに演奏されたキャバレーが「ボー・ダニューブ」すなわち「美しきドナウ」であることなどを考え合わせると、サティよりはオスカー・シュトラウスとのつながりを考えたいところ。
T うーん、今回のリサイタルは「パリへの旅」なんだけど、パリからいろいろな時と場所に、道が通じている感じですね。
K その、パリからあちこちに道が通じている、という話ですが、《愛の小道》のあとの曲がまさにそれなんです。
T 《アポリネールの2つの詩》ですよね。第一曲が〈モンパルナス〉で、第二曲が〈ハイドパーク〉。ハイドパークってロンドンだ、イギリスだ。
K 面白い場所の組み合わせですよね。だけど、もっと面白いのは、プーランクが〈ハイドパーク〉について「この曲はトランポリンだ」と言っていること。
T トランポリン?
K そう。この曲は、次の曲にジャンプするためのもの、という意味です。次への「つなぎ」というか「ステップ」というか。
T たしかに。この曲、短すぎて、これでコンサートを締めくくるわけにはいかない。何か次に演奏しないと。
K プーランクはバリトン歌手のピエール・ベルナックとデュオを組んでいたでしょう。二人でリサイタルのプログラムについて「この曲の次はこれがいいな」「でも、この曲とこの曲は、いきなり続けて演奏すると変だから、この2曲の間には『つなぎ』の曲が必要だね」「あ、それ、僕が書くよ」等々と相談していたようです。〈ハイドパーク〉を書いたときに、このあと二人で何を演奏するつもりだったのか、私にはわかりませんが、とにかく演奏者はこの曲をトランポリンにして、次の曲に跳ばないといけない。
T ということは、波多野さんは「跳ぶ」つもりで、この曲をここに持ってきた?
K そうでしょうね。そして、その着地点が面白い。《ファンシー》という短い歌ですが、実はこれ、プーランクの最後の歌曲なんです。
T これが最後ですか。最後は歌曲集《あたりくじ》かと思っていた。
K 歌曲集としては《あたりくじ》が最後です。子どものために書かれた楽しい歌曲集ですよね。第四曲〈バ・ベ・ビ・ボ・ビュ〉なんて最高。(^^) この《あたりくじ》のあとで書かれた唯一の歌曲が《ファンシー》。これも子どものための歌で、「子守唄」という副題がついています。1962年にイギリスの出版社の注文で書かれた曲で、Classical songs for children の一環として出版されました。面白いことに歌詞はシェイクスピア。有名な『ヴェニスの商人』の第三幕第二場で歌われる劇中歌です。
T そうそう、今回のプログラムで唯一、英語の歌なんです。
K プログラムの締めくくりがプーランク最後の歌曲で、しかも歌詞がシェイクスピア。今回のリサイタルのチラシに掲載された波多野さんの経歴には、こう書いてあります。「英国ロンドンの、トリニティ音楽大学声楽専攻科終了。シェイクスピア時代のイギリスのリュートソングでデビュー」。一見、意外な跳び方ですが、実はスジが通っている、と私は思います。
T そうか。20世紀のパリから、もう一度、過去に跳ぶんだ。しかも原点回帰。
K そして、それがリサイタルの締めくくり。素敵なプログラムですよね。――ということで、私たちの対談も、このあたりで締めくくりましょうか。長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
T ありがとうございました。
12月26日(火) 波多野睦美 冬・パリへの旅(好評発売中)
日程|2023年12月26日(火)
場所|兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール(西宮市)
時間|開演19時 (開場18時半)
料金|一般 4,000円 高校生以下 2,500円 当日500円増 (自由席)
*未就学児入場不可
主催|ならdeこんさーと
後援|西宮市、神戸新聞社、京都フランス歌曲協会
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