インタビュー《コラボレイティブ・ピアニスト益子明美/デュオ・リサイタル 後編》

コラボレイティブ・ピアニスト※としてヨーロッパやアメリカで活動している益子明美。前編ではピアノとの出会いとコラボレイティブ・ピアニストとして活動するまでを伺った  

※「コラボレイティブ・ピアニスト」とはアンサンブル、共演を専門とするピアニスト

  • ベルリンの壁崩壊と同時にベルリンに移住
  • 公演中に脳幹出血
  • コロナ禍と戦争とアート
  • この秋のリサイタルに寄せて

前編ははこちら

アメリカからベルリンへ

アメリカからベルリンに拠点を移されますね

アメリカのワーキングビザの更新時期だったが、申請しても取れるかどうかわからないから。(外国人がアメリカで働くには、就労ビザの取得が必須。抽選をくぐり抜け、審査に通り、さらに最短で半年、長いと1年半、待たなければいけない)それに夫婦で日本へ戻ることも難しい。

なぜ日本に戻ることがむずかしいのですか?

カットインできないの。もう若くないし、日本を離れて長い。そうすると小曽根真さんみたいなすごく名前のある人だと日本の社会も受け入れてくれるけど、そうでなかったらなかなか入ることができないの。日本人だから余計に大変、それが外国人だと比較的マシ。

日本の閉鎖性ですね

ちょうどそのときベルリンの壁が開いたので(1989年)、よくヨーロッパツアーの際に立ち寄っていたベルリンに可能性を求めて行った。

なるほど。ベルリンの街は気に入っていますか?

32年住んでいるけど、すごく気に入っている。ドイツというよりベルリンが好きです。頭の中が自由だから。ベルリンに住む学生は兵役がなかった。兵役に就きたくない学生はみんなベルリンに来ていた。陸の離れ小島みたいに東の中にあって、どこに行くにも東ベルリンを通らなければならなかった。そんな歴史もあるからだろうだけど、すごくユニークです。

芸術の街として自由な発想がうまれるような素地があったのですね

街のパワーがあるの。ニューヨークに似ている。2つの都市を比較すると明るい方のニューヨーク、暗い方のベルリンみたいな感じだった。

ベルリンでの音楽活動は順調だったのですか?

ベッチャー氏との運命的な出会い

着いたのはいいけど、誰も知らないし何もすることがなくて本当に暇だった。それで友達の歌手からもらった音楽家リストを見て電話をしたの。せっかくベルリンに来たのだから弦楽器のレパートリー増やそうと思って、先ずはチェロがいいなと思ったからチェリストのヴォルフガング・ベッチャー氏に電話した。

ベルリンフィル首席チェロ奏者ベッチャー氏と知ってですか?

知らないよ全然。 ヴォルフガング・ベッチャーという名前がモーツァルトと被るからいいなと思って!電話したら奥様が出られて「今レッスンしているから後ほどかけさせてもらいます」と言われ、本当にベッチャーさんから電話がかかってきた。「明日、学校のクラスに来て」と言われて行くと、彼の生徒トップ6人の電話番号をくれたの。その中の2人は今ベルリンフィルで弾いてる。

初めて会った日本人にピアノも聴かず、トップ6人をいきなり任せてくれくださったのはなぜですか?

 いやわからん、もうわからん、本当になんか。 疲れてとち狂ってたのかも?本当になぜ電話かけなおしてくれたのか。まあ彼の性格を知っていたら多分そうするだろうな、とは思う。でもトップ6人の電話番号は本当に役に立った。

亡きヴォルフガング・ベッチャー氏と益子明美

ベッチャーさんとの出会いで、ベルリンでの音楽生活の基盤ができたっていう事でしょうか?

そうですね。あともうひとつはフルートです。フルートのレパートリーは沢山持っていたの。私の師匠のフィリップ・モル(ピアノ)はジェイムズ・ゴールウェイ(フルート)とずっと弾いていたからフルートのレパートリーがすごく強いでしょう?これはいけると思ったの。

また音楽家リストから電話したのですね

そう。カールハインツ・ツェラー(元ベルリンフィル首席フルート奏者)という人に電話したの。「家に来て!」と言われて行くと「弾こう!!」と言われいっしょに弾き合いっこしたの。若かったからパンパン弾けた。当時アメリカではゴールドの楽器を使っている人多かったけど、ツェラーはシルバーの楽器使っていたので横で聴いているとまるで尺八みたいに聴こえて「尺八やなこの人」と思って弾いていた。
あとで分かったけど、怖いもの知らずというのは恐ろしいことでフィルハーモニーのコンサートで聴こえてきたフルートソロが、聴いたことのある尺八みたいな吹き方だなと見たら、あのときのツェラーだった。「知らなかったの?!」とみんなに驚愕された。本人も自己紹介してくれないからベルリンフィル首席とは知らなかった。

公演中に脳幹出血を起こす

偶然の出会いから生まれたベッチャー氏と信頼関係を築かれ公演を重ねて行かれます。そのコンサートの最中に大変なアクシデントが見舞われますよね

弾いているときに脳幹出血を起こした。津田ホールでの公演で前半は調子良かったけど、後半のショスタコーヴィチのチェロ・ソナタが始まって2小節で8分音符が横向いているの。しばらくすると元に戻る。なんか変だな、なんだろうこれ? 2楽章はテンポが速く身体がついてこない。最後までもつかな、どうかな、と楽譜にかじりついて弾ききった。でも立ちあがるとぐわーんと平衡感覚がなくすぐに慶応病院に運ばれた。

脳幹出血は命に係わることもあり、助かっても運動麻痺や感覚麻痺が残るといいます

95%死ぬ病気と言われていて、私のは1~1.5cmくらいの卵型に出血している。こうやって活動できているのはレアケースみたいで学会3回発表されてる。通常は生き残ったとしても重度の障害が残る。だから生きているだけでも良しみたいな感じで。痛みはないのだけど世界がビックリハウスのようだった。看護師さんがハサミ持って来たら、バルタン星人のハサミみたいに見えた。慶応のお医者さんにはビックリハウスは伝わらなかったけどね。

明るく何事もないようにお話なさっていますが、演奏家生命の危機ならず死の渕を彷徨ったわけですね。リハビリは大変だったのでは?

病室で暇だったから練習していた。手がブルブルと持ち上がらないのを朝から練習していたら夕方には持ち上がるようになっていた。あと、最初は唇が20センチくらいになった感覚だったけど、病室で喋りまくっていたらどんどんスッとした感じになり、元に戻っていった。文字も最初は真っ直ぐの線が書けなかったけど書いていたら書けるようになった。ピアノをやっていたから反復練習が苦にならない。でも手と足は今でもあの時のギュッと締め付けるような感覚はまだ残っている、特に右半身は。

復帰後、レコーディング 2013年VDM賞受賞

この秋、兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホールにて
ご子息のヴァシュカウ 考志 ローレンス氏と
バイオリンとピアノのリサイタルを催す
プーランク、プロコフィエフのバイオリンソナタは
スペイン内戦や第二次世界大戦の最中に書かれた作品

コンサートについて、タイトルに「戦禍を駆け抜けて」とあります。このサブタイトルをつけた理由は?

2020年からのCovid(コロナ)は戦争のようなものだった。ヨーロッパから日本に帰国するのに大変な思いをした。初めてすごく遠いのだなと思った。何もなければ飛行機に乗りさえすればすぐ日本なのに、検査、6日間のホテル隔離、2週間の自粛生活で毎回大変。
それに音楽家は一番に活動できなくなった。何人ものアーティストがそのとき絶望して自ら命を絶った。ただ、ドイツ政府はすぐにアーティストを支援した。人間に必要なものは衣食住。でも人生に必須のカテゴリーとして芸術は無くてはならない。そういう認識はドイツには歴然とある。

人間は幸か不幸かいろいろなことを繰り返していく
80年もたつのにまた同じ過ちを繰り返している

2022年2月からのロシアによるウクライナ侵攻は終わりが見えません

人間は幸か不幸かいろいろなことを繰り返していく。80年もたつのに(第二次世界大戦から)また同じことをしていて人類はいったいどうするのか?と思って、このような(戦禍を駆け抜けて)プログラムにしました。音楽家たちはそのような事態でも作品を作り続ける。

身近に戦争を感じる場面はありますか?

ベルリン郊外のグリューネヴァルトという森で不発弾の処理を定期的にやっているのだけど、昨年の夏の暑い日に集めていた爆弾に引火した。みんなはとうとうベルリンに爆撃機が来たか!と思った。たまたま不発弾が爆発したのだけど、でもそれくらい身近に戦争を感じています。

共演のバイオリニスト、ヴァシュカウ 考志 ローレンスは名門ベルリン芸術大学を今年で卒業。亡きベッチャー氏に『才能あふれる逸材!音楽が彼の身体中から迸っている』と絶賛された

ご子息考志くんはバイオリンだけでなく、歌や作詞作曲など多方面に秀でた才能を持つ音楽家ですが、特別な英才教育を施されたのですか?

全く違います。私自身がいわゆる日本人の緻密な、なんて言うのかな?ここに(ベルリン)来ている子っていうのは桐朋や藝大の上位。みんな小さい時からの訓練の仕方が半端ない。でも私はピアノを始めたのも遅いし、そこからは程遠い。私は自分の子供は絶対に音楽高校には行かせたくなかったよね。だから高校は公立のオーケストラやコーラスがあり、音楽の時間が多い所に行った。

それは、なぜですか?

音楽高校に行ってしまうと友達のチョイスが少なくなるから。自分は公立の高校いってめっちゃ楽しかったし、今も高校の友達が一番多いね。でいろんな職種になってね。どっちにしたって音楽をやるわけやから、音楽の仲間っていうのはついてくるでしょう?

日本とドイツの教育の違いを感じられますか?

日本人はみんな素直だしよく弾けるけど、どう弾きたいかがよくわからない時がある。文化も違うね。やっぱり日本人は昔からまあアジアの子たちは結構教育されるし、しつけをされている。多数でまとまりもって、きちんと行動できる。
それがドイツでは全然まとまりがつかない。息子が小学校1年生の時から6年間、小学校でミュージカルがあった。そこでボランティアでピアノを弾いていたのだけれど、練習段階ではとても仕上がるとは思えないわけ。席の後ろで勝手にヨーグルトを食べているし、いつの間にか出ていく子もいるし、セリフは覚えてこないし、てんでバラバラなわけ。ところがゲネプロになったらセリフはちゃんと入っているしみんな堂々とできるわけ。ほんとうにビックリする。小さい時から、こう弾きたいとか、何を着たいとか必ず持っている。良いか悪いかは別だけど。
それと小学校一年生から発表が多いね。 まず発表、発表、発表、発表でプレゼンテーションするわけ。試験も必ず口頭試験があるね。書くだけじゃなくて半分口頭があるね。 それって結構日本と違うかなあ?

演奏が上達する秘訣は何だと思いますか?

環境って大事だなあって思います。なんかこうレベルの高いのが当たり前の中にいると、シュッと当たり前の所まで行けるけど、その中ににいないとなかなか行けないよね。 昔、ザンバーラ先生がおっしゃっていました。「とにかく上手くなるにはレベルの高い人と演奏しなさい。 そうするとすごい早いから」って。

初の親子共演ですね

考志が小さかったころ、ドイツ国内の青少年コンクールなどでは一緒に弾いていたけれど、思春期に入ってからは弾いてないですね。親子は難しいから。
周囲から考志と一緒に弾かないの?弾かないの?といっぱい聞かれて、よくよく考えたら息子が私と弾く機会はこれから無いだろうし、最初で最後の機会かもしれないのでやっておくのもいいかな、と思った。本人に尋ねたら、やると言ったので話をすすめました。

最初で最後かもしれない親子共演に特別な思いはありますか?

無いです。(笑)プロコフィエフもプーランクもバイオリンは大変難しいし、私の土俵に乗ることに彼なりのプレッシャーもある。1回目のリハーサルは自分の都合で音楽を切り刻んで返すので大喧嘩になりました。親子で心静かなリハーサルは出来ないので、小さな本番を入れました。ベルリンでハウスコンサートを3回やったら、どんどん寄せてきて流石やなと思った。リハーサルより本番やる方がいいね。

音楽を媒体としてお客様とその場を共に過ごす、
時間と場所を共有できることが幸せだと思います

大変楽しみなコンサートです

そうね。私がお客さんの立場だったらとても楽しみです。

最後に、日本のお客様へメッセージをお願いします

時間や場所を共有すること、 コロナ禍の三年はそれらが欠落していたわけです。音楽を媒体としてお客様とその場を共に過ごす、時間と場所を共有できることが幸せだと思います。
坂本龍一さんが言ってた「(音楽で)元気を与えるとか、もらうとか言うじゃない?あれも僕は嫌いなんだよね。元気を与えてやるぞなんて態度で音楽やる人、そんなにいないと思うのだけど。ぼくには「寄り添う」って言葉が一番近いかな。一緒にいるって感じだな。人に元気になるような音楽を作るような思いあがったことはできない」素晴らしいよね。

We learn from history that we do not learn from history.

                                               ━━━   Georg Hegel

              

愚かさに学び叡智に学び

すこしでも光ある明日がありますように

たったひとつの地球を分かち合う仲間たちへ

                益子明美


ヴァシュカウ 考志 ローレンス & 益子明美 デュオリサイタル

日程|2023年10月12日(木)
場所|兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール(西宮市) 
時間|開演19時 (開場18時半)
料金|一般 3000円 高校生以下 2000円
 *未就学児入場不可
後援|西宮市、神戸新聞、大阪音楽大学同窓会《幸楽会》

《プログラム》

エルネスト・ショーソン  詩曲作品25  
Ernest Chausson    Poème Op.25  

フランシス・プーランク   ヴァイオリンとピアノの為のソナタ
Francis Poulenc      Sonata for violin & piano, FP 119

プロコフィエフ   ヴァイオリンとピアノの為のソナタ 第1番 ヘ短調 作品80
Sergei Prokofiev    Sonata for violin & piano, No.1 f-moll Op.80